【札幌農学校演武場跡碑】「さっぽろ時計台」の前身となる建物の建築場所がこちら!-札幌市中央区-

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ランチを食べに札幌中心部へ行ったこの日。
たまたま前を通った観光地「札幌時計台」の近くで、写真の碑を発見しました。

 

札幌農学校演武場跡碑の場所

「札幌農学校演武場」とは、現在の「札幌市時計台」のことです。また「札幌農学校」とは、言わずと知れたあの「北海道大学」の前身となる学校のことです。

碑の場所ですが、「札幌時計台」のある札幌市中央区北1条西2丁目の北側の通り沿いにあります。意外と街並みに溶け込んでましたので、注意して見ていないと見落とすかも知れません。

 

 

案内板による解説

案内板に、こちらの碑の説明が書いてありました。以下転記します。

このあたりは、開拓使が米国マサチューセッツ農科大学を範として創設した札幌農学校(初代教頭W.Sクラーク)の休校地に当たります。その兵式訓練校と講堂などの機能を併せ持った建物が演武場で、明治11年(1878年)に現在の北2条道路上の位置に建てられ、明治14年(1881年)に塔時計が付設されて、現在「さっぽろ時計台」として親しまれている姿となりました。その後、札幌農学校は現在の北海道大学の位置に移転され、残された演武場は、明治39年(1906年)に道路整備に伴い約100m移動されました。現在は、国の重要文化財として、大切に保存されています。

また案内板の地図によると、「札幌農学校演武場」が当時建てられていたのは、現在の北2条通西2丁目の中通りが交差する場所だった様です。地図は当時の札幌農学校の配置図と現在の道路図が重ねられて表示され、比較できるようになっていました。とても見やすい地図でした。

 

さっぽろ時計台の簡単な歴史

札幌農学校演武場は市民の公会堂としても使われていました。明治21年には札幌の標準時計に指定され、また明治36年に札幌農学校が現在の北海道大学の場所へと移転した際には、当時の札幌区が札幌農学校演武場を借り受けました。この頃より、演武場は「時計台」と呼ばれるようになったそうです。明治39年に札幌区が時計台を買い上げ、道路整備のため約100m南に移設しました。農学校の寄宿舎があった位置にあたりますが、以後この場所が時計台の安住の地になります。

現在、創建時の元の場所に近い歩道上に「演武場跡」の石碑が建っています(この碑は昭和37年一市民の奉志で建てられたもので、揮毫は農学校19期生星野勇三北海道大学教授の筆によります)。「さっぽろ時計台」は、昭和36年に札幌市の有形文化財第1号に指定されたのち、昭和45年には「北海道における明治洋風木造建築の代表的なもので、北海道開拓史上記念すべき遺構の一つ」として国の重要文化財に指定、平成8年には環境庁の「日本の音風景百選」に選定され、さらに平成21年に(社)日本機械学会より第32番目の「機械遺産」に認定されました。

(本文の一部 http://sapporoshi-tokeidai.jp/know/walking.php より引用)

 

周辺の様子

碑があるのは、北1条通り沿いの歩道。
周りにはビルが立ち並び、意識して見ていないと見落とす位です。

なお2010年まで「札幌農学校演武場跡碑」は、隣接するビルの1階にあるバー「BARCOM」さんの店内にあったそうです。BARCOMさんのHPにて記載がありましたので、興味のある方は下記URLよりご訪問してみて下さい。

( BARCOM http://barcom.jp/barcom/tokeidai/ )

 

【札幌農学校演武場跡碑】

住所:札幌市中央区北1条西2丁目



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