史跡ヲシャマンベ陣屋跡 – 山越郡長万部町 – 【 2011年6月ドライブ 今更初夏に逆戻り No.4/7 】

かに食べて、満腹なお腹に更に浜ちゃんぽんを投入!
う~ん、お腹一杯! これ以上入らん! 苦しすぎ…。
ドライブ時はソフトクリームが食べたくなる事が多いのですが、そんな気も起らず。
さて戻るか! っと思ってた矢先、何か立派な鳥居を発見!
一度気になるとほっとけない性格上、とりあえず車を停めて見ました!
後で、行っとけば良かった!って思いたくないですしね~。
鳥居
石碑
史跡
こちらはどうやら飯生神社という神社らしいです。 …が! この時点では全く気付かず。
っていうか、鳥居にだけ興味を持っていた為、周辺はあんまり見てなかったんですね…。
下の写真もとりあえず撮っておいて、後で家帰ってから見て見た訳。
するとなんだこれ! 「 史跡ヲシャマンベ陣屋跡 」! 史跡って!
この時点では、「神社スゲー! 鳥居キレー!」 って、はしゃいでた記憶しかないよ…。
まさかこんな歴史的価値のある場所に立ってたなんてな~。
ちゃんと回りは見て見るものですね…。。。
さて、史跡ヲシャマンベ陣屋跡とは!現地案内板によると以下の通り。
「安政2年(1855年)南部藩は、恵山岬から幌別までの沿岸一体の警備を幕府より命じられ、箱館(函館市)に元陣屋を室蘭に出張陣屋を砂原・長万部には分屯所を設けることにしました。
ヲシャマンベ陣屋は室蘭の出張陣屋と同じく安政3年(1856年)に構築されましたが、安政4年(1857年)12月に長万部沿岸が砂漠遠浅のため、外国船が容易に近づけないことから、陣屋の必要性がなくなり、南部藩は自藩に引き上げました。
渡島北部における唯一の近世史跡として昭和49年8月に国指定文化財(史跡)となりました。」
背景には、帝政ロシアが南下してきた事があったそう。
当時の箱館には松前藩が置かれてました。
が、1853年のペリー来航以来、箱館開港・箱館奉行所の新設などで手一杯な状態。
そこで管轄を幕府の直轄とし、蝦夷警備の命令を発した、との事みたいです。
鳥居
内側から鳥居
飯生神社
史跡っても、陣屋自体が残ってる訳ではない様です。
陣屋があった場所に立っているのが、こちらの飯生神社。
その周囲に当時の土塁や壕が残っているみたいです!
冒頭でお伝えした通りそんな事には全く気付かず、綺麗な神社だな~なんて思ってました。
階段を上った先にある鳥居なんかは木製! なかなか出合えないレアな鳥居。
これだけで興奮してましたしね~。
さて何も気づかないわたくし、参拝だけして次へ向かいました。
次に立ち寄るときは全部見てこよ! 絶対!
【 史跡ヲシャマンベ陣屋跡 】
山越郡長万部町陣屋町

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