今回は観光ではありませんが、北海道の歴史を辿るために車を走らせました。きっかけは、ネットでとある記事をみたこと。かつて北海道にも油田があった!?なんてことが分かったので、いてもたってもいられなくなり、ネット情報を集めた上で早速向かいました。

なおネット情報だけでは場所を特定するのが大変だったため、下記地図に入口を記しておきます。興味本位で行かれる際には是非参考にして下さい。

 


石狩油田跡に続く道は「道道527号線」沿いにあります。通りの名称は「普通林道 五の沢線」。写真の看板が道道沿いにありますので、この看板を目印にして山の方へ車を走らせます。

なお、五の沢線は1車線分しか道路幅はありませんが、終始しっかりと道路は舗装されてました。途中、車がすれ違うことができる様な場所も所々に設けられてますので、意外と走りやすかったです。その行きやすさからか、林道沿いには山菜取りを目的とした車がたくさん停まってました。地元の方には結構知られている場所なのかも知れません。

 


しばらく走るとゲートが見えてきますので、更に先に進みます。

 





更にしばらく走ると、右手側に何かの痕跡が見えてきました。車を路肩に停めて確認してみると、どうやらこれが今回の目的の一つだった様子。「石狩油田 八の沢鉱業所跡」の碑が立ってました。また当時、油田の周囲にあった施設などが簡易地図で記されてました。

 


八の沢鉱業所跡の碑に記されていたのは以下の通り。

「安政5年(1858)厚田望来の海浜で石油の湧出を確認。明治12年(1879)春別で試掘。採掘に数々の困難を窮め採算及ばず。後に日本石油株式会社に譲渡され、昭和初期の最盛期には油井数188杭、年間産油量、約1万キロリットル、従業員250余名の活況を呈した。その後、帝国石油株式会社に引き継ぐが油量激減。北宝石油株式会社に継承。35年(1960)8月採掘を廃止し、試掘から81年の歴史を閉じた。ここに、我々の尊い足跡を永く伝えんと碑を建てる。
平成12年10月吉日 八の沢石油友の会 記念碑建立実行委員会」

石狩油田の開発は、1858年に幕府箱館奉行所石狩詰役所の「荒井金助」という人が厚田望来の海辺のあたりに石油が浸透しているの見て、調査したのが始まりなのだそう。その後の明治12年の試掘では成果が出ず、明治36年「インターナショナルオイル」社の行った大規模な開発により油井を発見したのだそうです。その後、明治44年には「日本石油」社に事業譲渡。昭和4年には年間産油量は1万キロリットルを超えピークを迎えました。戦時中の昭和16年に、経営は政府系の「帝国石油」へ移譲。しかし埋蔵量の少なさから産油量は年々減少し、昭和30年頃にはピーク時の5分の1程度の約1,800リットルまで落ち込んだとのことです。昭和34年には「北宝石油」へ事業譲渡されましたが、翌昭和35年に採掘は中止され、石狩油田は閉山。試掘から約81年の歴史が終わりました。

 



現地見取り図には当時昭和23年頃の施設の様子が記されてました。石油採掘施設・鉄工所・変電所などの各施設の他、小学校・グランド・風呂場・寮・神社などが見受けられ、一つの町が形成されている様でした。

かつて北海道の各地にあった炭鉱町が閉山により衰退したことと同様に、こちら石狩油田も閉山により影響を受けた箇所の一つ。回りの風景と看板の記載内容とが全く異なるため、その様に感じずにはいられませんでした。

 



少し横に目をやると、門柱には「石狩町立 八の沢小学校跡」の文字。「跡」と書いてあるので、閉校となった後につけられたプレートなのは明らか。この場所に縁のある方が当時を偲んでつけたのでしょうか。

 



「八の沢工業所跡」の石碑があった場所を離れ、少々車を走らせます。すると右手に見えたのは「伊夜日子神社」の立て看板。「伊夜日子神社」といえば、札幌市の中島公園にある神社。何があるのだろう?と、路肩に車を停め向かおうとしますが、車を降りた途端に感じた異様な臭い…。嗅ぐ機会の多いこの臭いは、正に「灯油」の臭い!?という事は、この場所が今回の目的地「油田の跡」だった様です。

道路沿いに車を停めると、左手奥の草むらの中に赤い看板が見えました。近づいてみてみると「立入禁止 火気厳禁」の文字。近づくにつれ臭いは強くなり、看板の奥は石油で黒く変色してました。

 



ロープが張ってあり、その奥は一帯が黒く変色しており、ここが油田跡だったことが見てわかります。よ~く見てみるとあちらこちらから泡が「プクプクプク…」と、今でもガスが噴き出していることがわかります。今回は道路沿いをぐるっと回っただけですので油田跡を確認したのはここのみですが、藪の中を散策する覚悟があれば、まだ多数発見することができるかも知れません。

 





道路を挟んだ向かい側にあった「伊夜日子神社」の跡。
本社は新潟県の「彌彦神社」となり、祀っているのは「天之香具山命(あめのかぐやまのみこと)」。新潟県から札幌に移住された方々により、明治の末に中島公園に小さなお宮を建立したのが始まりだそうです。こちらの伊夜日子神社が建立された経緯はわかりませんが、現在はこちらの碑が残るのみの様でした。

 

今回は油田跡の廃墟?をご紹介しましたが、車で行けるので比較的行きやすい場所と思います。また興味のある方は、下記動画も合わせて確認していただければと思います。


 

【 石狩油田跡 八の沢鉱業所跡 】
住所:石狩市八幡町

 

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