道南ドライブは2日目。
結婚記念日&妻の誕生日を江差町の高級旅館「群来」さんで迎え、非常に美味しい食事と自家農場の見学でとても楽しむことができました。特に群来さんの自家農場では、鶏やサフォーク羊の飼育小屋の見学ができ、自家製卵のお土産までいただくことができました!

【江差旅庭 群来】豪華料理と天然温泉!?7室のみの高級旅館!-檜山郡江差町-
八雲町の噴火湾側から日本海側へ抜け、熊石地区にてお昼ご飯。「かきた」さんで海鮮丼をいただいた後は、熊石の「海洋深層水」から作られたお塩を購入!さて、そろそろ...

また同じく江差町の「チャミセ」さんでは、江差町の郷土料理「けいらん」&「ふきんこ汁」をいただくことができ、地元の味を満喫することができました。

【皐月蔵チャミセ】昔の蔵を改装したカフェで郷土料理の「けいらん」&「ふきんこ汁」!-桧山郡江差町-
江差町の旅館「群来」さんでは、快適な空間と豪華な食事でとても贅沢な結婚記念日を過ごすことができました。最後につれて行っていただいた群来の直営農場「拓美ファー...

 


「箱館戦争官軍上陸の地碑」!
目的も果たしたので、今度は札幌へ戻りつつ色々と寄り道していきます。当初は松前町を経由して函館方面から札幌へ帰ることも検討したのですが、何せ函館は去年行き過ぎたせいで少々行き飽きた…。なので江差町からは日本海側を再度北上し、八雲町から長万部方面へ抜けるルート(要は来た時と同じルートです)を選択しました。

その途中に通った乙部町。江差町からは20数分程度でつきます。乙部町を走る「国道229号線」沿いにあった看板に書いてあったのが「← 箱館戦争官軍上陸の地碑」の文字。ほ~、そんなものがあるんだな~。時間もあるし行ってみるか!ってことで、早速寄り道1ヶ所目をみつけることに成功しました!

 

 


何の事前知識もなくこちらに伺いましたが、現地看板の説明書きによると以下の通りとのことでした。

「北海道夜明けの地」
-箱館戦争官軍上陸の地ー

明治2年4月9日未明、乙部沖に官軍の「甲鉄」「春日」など8隻の軍艦が終結し、にしん漁最盛期の前浜は黒船の襲来を思わせる光景となっていた。

箱館戦争(明治元年~2年)は、鳥羽伏見の戦いに端を発した戊辰戦争の最終局面で、榎本武揚率いる旧幕府軍が蝦夷共和国の成立を目指して蝦夷地を占領した戦いと、それを明治維新軍の官軍が奪還した戦いを指します。

明治元年、軍艦「開洋丸」などで東京・品川沖を脱走した旧幕府軍は、10月20日、鷲ノ木(森町)に上陸。箱館、松前、館城(厚沢部町)などを次々と陥落させ、12月15日、箱館・五稜郭において蝦夷共和国を成立させました。

官軍は、翌年、兵力をたて直し青森に終結。1500人の兵と「甲鉄」「春日」「朝陽」など軍艦8隻で、4月6日蝦夷地奪還に向け出航しました。途中、霧のため平舘(青森県東津軽郡)に停泊後、松前、江差の沖を旧幕府軍に気づかれないよう通過。乙部沖には9日未明に到着し、上陸の状況をうかがったのであります。

村民は、大挙して沖に現れた官軍の軍艦に対し、漁船を出して旧幕府軍の情報を伝え、これが上陸開始の契機となり、津花の浜(当地)及び相泊(館浦)への千人を超える兵士が迅速に上陸できました。このように、乙部の村民が官軍に協力したことによって、その後の戦況における重要な役割を果たすこととなったのです。

官軍は、上陸後すぐに参謀本陣を乙部に設置し、臨戦態勢を整え、翌日には軍艦から敵陸兵への艦砲射撃を加えるなどにより江差を奪還。更に、松前道や鶉山道(渡島中山峠)などから箱館へ進軍し、ついに5月18日、榎本武揚をはじめ旧幕府軍千人を五稜郭から投降させ、箱館戦争が終結しました。

ここ乙部は、官軍が上陸して蝦夷地を奪還したことにより、蝦夷地が北海道となり、本格的な開拓が始まる起点をなりました。

 

とのことです。
函館の五稜郭には旧幕府軍の土方歳三の像が立っていたり、戊辰戦争の史跡は旧幕府軍由来のものが多い印象ですが、新政府軍を推す内容の碑はなかなかお目にかかることは少なく珍しいもの。旧幕府軍が好きな人には、興味も半減してしまうのでは?ちなみにわたしはどっちつかず派です…。

 


となりにあった看板には、乙部町のにしん漁の歴史が書かれてました。以下、転記します。

乙部町でにしん漁が本格化したのは、およそ300年前の、江戸時代中期に入ってからとされております。
当時、にしんが、どこの前浜に群来し始めても、松前藩主へは「乙部の浦から初鯡群来・・・」と報告されるほど、にしんの千石場所としてにぎわい、東北などから多くのヤン衆(漁夫)が訪れ、乙部の浜は活気にあふれておりました。
その頃の乙部は、海産物出荷量の実に9割がにしんで、漁業の機関を占めるほどとなり、にしん漁のにぎわいとともに、そば屋・宿・酒屋・雑貨屋など、多くの商店が建ち並んだのも、この時期とされております。
その後、明治末期には、にしんが北上し、漁が衰退していきましたが、現在も漁業や造船の町として後世に引き継がれ、にしんの網起こしで唄われていた「沖揚げ音頭」も、夏祭りのきり声として、唄い継がれております。

松前を起点とし、日本海沿岸を北上する新たな観光ルート「にしん街道」に乙部町が位置し、にしんの千石場所であった証として、この標柱を設置しました。

 


更に隣には、もう一つの看板。
乙部町の観光マップです。

乙部町はたくさんの湧水スポットがあるので、確認して回ってみるのも面白そうです。

 



実際の碑がこちら。
濃い色の木の標柱に黒で文字が書かれており、非常に読みずらいです…。訪問時には逆行だったため、肉眼でも読めなかったほど。更には、碑の回りは非常に殺風景…。海が目の前なので漁業関係の倉庫みたいな建物こそ数棟あれど、回りはとても開けてます。国道から少々奥まった場所になりますので、場所柄賑わう様なところではありませんが、観光地として見るには少々寂しい場所でした。

その分趣がある場所で、歴史探方には持ってこいな雰囲気も感じられます。興味のある方は、乙部町に行った際には是非立ち寄ってみて下さい。

 


 

【箱館戦争官軍上陸の地碑】
住所:乙部町字元町520番地
電話:0139-62-2311(乙部町役場産業課)

 

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